たかむらやま
広島県東広島市河内町
小野 篁(802〜852)
平安初期の文人・歌人。遣唐使も務め、嵯峨天皇の時代に左大臣も務めた。三蹟の一人小野道風や絶世の美女として有名な小野小町の祖父と伝えられている。この寺の管理をされている方のお話では祖父ではなく父親だというお話もあるそうです
小野小町
”花の色は うつりにけりな いたずらに
我が身世に経る 眺めせし間に”
小野 篁
”わたの原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと
人には告げよ あまのつり船”
今回の軌跡 |
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総歩行距離 |
4.5km |
昼食時間 |
55分 |
総時間 |
3時間32分 |
篁山標高 |
535m |
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参拝を済ませ鐘楼のある篁山山頂にむかいました。山頂らしき場所にはいくつもの記念のプレートがありました。ここが山頂かな…? あとで地図で確認すると三角点はもう少し先にあったようです。そのそばには巨大な石仏がありました。ここで初めて登山者と出会いその方に、昔この場所には三重の塔があったことを教えていただきました
山頂から少し下った所にある鐘楼で昼食摂りました。ここからは広島空港が少し霞んで望めました。青空の下、シジュウガラやホトトギスの鳴き声を聞きながらのんびり食べる昼食は良いものです。でも、のんびりし過ぎてここからの景色を撮影するのを忘れてしまいました(-_-;)
昼食を済ませ竹林寺まで戻り 苔むした石仏や石塔をしばらく散策した後下山。”小野篁”生誕の地 竹林寺篁山はたくさんの伝説の残る歴史のある山でした
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ここが山頂のようです… |
山頂近くにある石仏 |
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鐘楼のそばで昼食 |
チャンポンメン鍋 |
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コーヒータイム |
八千代池は春の佇まい |
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もうそう竹の林 |
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4月1日開通した東広島・呉道路から眺める
郷原岩山(城山) |
篁山登山口の案内看板 |
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”天平のみち”の石碑 |
地主の方にお話を伺いました |
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姫路瀧
松ヶ嶽城の姫君がお供の女を連れてすすぎものに通ったと言われる瀧
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南北朝末期から室町時代に存在した”松ヶ嶽城址”へ |
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今も残る 石積みの井戸 |
再び竹林寺をめざす |
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仁王門に到着 |
静かな佇まいの竹林寺本堂 |
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2012年 4月8日(日)
午前中所用があり、山はどうしようかなぁ…でも外は良い天気。近くにどこか良い山はないかと…”広島県の山”の本を見ていたら広島空港の北側にある”
小野篁 生誕の山 篁山”が目に留まった。未踏のこの山…興味津々。今月初め開通したばかりの東広島・呉道路を通って早速行ってみることにした
阿賀ICから東広島・呉道路に乗るとあっという間に郷原です! 目の前には昨年末登った岩山が聳える。なんと自宅から20分足らずで黒瀬に到着。これまでのことを考えるとかなりの時間短縮です
登山口近くにある林産物直売センターは閉まっていた。駐車場に車を停めしばらく行くと”篁山荘”の看板がありました。でも、現在営業していないようです。他に登山者はなく今日は静かな山歩きになりそうです
歩き始めるとすぐに参道のお世話をされている地主の方に出会いました。駐車場に車を停めたことをお話して快く許可を頂きました。ここで篁山についての興味深いお話を色々伺いました。参道の傍らには小野小町の句碑、篁の生母八千代の像や梵字の石碑がありました
しばらく行くと姫路瀧に到着。ここはその昔、松ヶ嶽城のお姫様がすすぎものをした瀧だと説明書きがありました。石ころがごろごろある道を更に歩いていくと松ヶ嶽城跡分岐がありました。本丸跡の案内に従って歩いていくと石積みの井戸を見つけました。…でも、それ以外は藪になっていて城跡はよく分かりませんでした
分岐まで戻り広い道を歩いていくと仁王門に到着しました。杉や松の木立に囲まれた境内には見事な竹林があり、大池に架かる八千代橋を渡って行くと茅葺きの本堂があります。僧行基が掘ったと言われる千手観音が本尊に祀られています。本堂の両脇に十王堂と護摩堂がありましたが、護摩堂の屋根は巨木が倒れ屋根が壊れてちょっと残念なことになっていました
篁山登山口(10:35)→姫路瀧(11:10)→松ヶ嶽城分岐(11:30)→井戸(11:38)→松ヶ嶽城分岐(11:45)→竹林寺本堂(11:55)→篁山山頂(12:05)→鐘楼・昼食(12:15〜13:10)→竹林寺散策(13:15〜25)→登山口(14:00)
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竹林寺境内 |
竹林寺篁山(535m)